私は悪しき者として分けられたと嘘を?

週刊少年ジャンプの『封神演義』で始祖である主人公の元となる魂が主人公と王天君(王奕)に分けられた経緯が主人公と王天君(王奕)に分けられる前の存在の登場シーンで語られるシーンを思い出した。

そのシーンで始祖が冷めた目をしていたことは何度も思い出していた。

昨日、週刊少年ジャンプで連載されていた『ドラゴンボール』でピッコロ大魔王と同じ姿をした「神」が前の代の神様に神様となれる者だと認めてもらうために「神」自身の悪となる存在と別の存在となるように分けたといった内容のシーンを思い出して、改めてその内容について違和感を感じた。当時から違和感は感じていたが、ピッコロ大魔王を「神」と同じ存在にしていれば、ピッコロ大魔王は生まれることもなかった。しかも「神」はそのピッコロ大魔王が暴れて世の中を荒らしていることを知っていながら放置した。そんな者が「神」として認められるのかと。

「前代の神様も、悪い存在を世に放った者を神として認めるなよ・・・」と昨日その分裂のアニメシーン(漫画では描かれてなかったと思う)を思い出して改めて思った。

あれほどの作品の世界観を考えた漫画の原作者はそういうシナリオに矛盾するような内容を連載初期から設定していたとは思えないんだけどなあ。

アニメ制作側の意図なのか、何かの組織の意図なのか、わからないけど、ドラゴンボールの「神」は日本の神様のことを描いているわけではないだろうから、アニメ制作側の意図なのかなあ。

コメント

  1. @steam0399 より:

    私が読んだ漫画の内容は「始祖は主人公と王奕に分かれた」という設定だけど、ピクシブ百科事典の「藤崎版(封神演義)」の解説ページでは始祖が王奕になって、その王奕が二つに分かれた(のちにさらに王天君側で3つに分かれた?)と書かれている。
    誤記?

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